日米における学生アスリートに対する医療支援体制の課題 まとめ10 また、前時代的な根性論や精神論が残っている現場も多く、「違和感程度で休むな」「気持ちで乗り切れ」などと指導されることもあります。特に上下関係が厳しい体育会系の文化では、先輩や監督に怪我を訴えにくく、無理をしてプレーを続けた結果、怪我を悪化させてしまうケースも少なくありません。身体のサインよりも気合や責任感を優先する空気感が、選手の安全やキャリアを脅かす場面もあります。 特に注目すべきは、「選手の身体」に対する考え方の違いであると思います。アメリカでは、怪我や不調は即時に専門的ケアの対象とされ、選手の状態をデータやプロセスで管理するのに対し、日本では「自己管理」や「精神力」といった曖昧な価値観が優先されがちです。その結果、選手が自分の状態を過小評価したり、声を上げづらい環境が生まれています。スポーツメディカルのあり方は単なる制度の問題ではなく、「選手の声をどう受け止めるか」という社会的感度や組織文化に直結しているでしょう。今後、日本が国際的な競技力や安全性を高めていくためには、ハード面の整備だけでなく、こうした価値観レベルのアップデートも不可欠であると考えます。 私がアメリカでテニスの試合中に怪我をして救急車で運ばれたとき、「これ、いくらかかるんだろう」と治療費の心配が真っ先に頭をよぎりました。プレーよりも請求書が怖いと感じたのは、今でも強く記憶に残っています。実際、アメリカでは手術や精密検査、リハビリなどにかかる医療費が高額になることが多く、保険でどこまでカバーされるのかが分かりにくいケースもあります。奨学金で学費を支援されていても、医療費は別の負担として選手に重くのしかかります。 さらに、個人的に強く感じたことは、薬の処方の不安です。アメリカでは大柄な人も小柄な人も同じ量の薬を処方されることが多く、自分には効きすぎることがありました。痛み止めを飲んだ後に極端に体が重くなったり、集中力が落ちたりすることもあり、「量が合っていないのでは?」と疑問を感じる場面が何度かありました。こうした一律的な医療対応には、個々の体質や感覚が十分に考慮されていないように感じます。 一方、日本の大学では、怪我をしてもすぐに医療的な処置を受けられる体制が整っていないことが多く、トレーナーがいない時間帯や日には、選手自身が整形外科を探して受診する必要があります。大学内に医療設備が整っているわけでもなく、アイスバスや電気治療器といった基本的なリカバリー設備すら存在しないことも珍しくありません。アメリカと日本における大学スポーツの医療支援体制の違いからは、競技の位置づけやアスリートの扱われ方の根本的な文化差が浮き彫りになります。アメリカではスポーツが教育の延長ではなく「投資対象」であり、アスレティックトレーナーも医療職として制度的に位置づけられ、選手のパフォーマンス維持に戦略的に関与しています。一方、日本では部活動は教育の一環であり、医療支援体制も補助的・限定的にとどまる場合が多く、根性論が残る現場では選手が無理をしてしまう風土も見られます。
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