黒川 夢トロント大学(カナダ)最近では、TikTok などの SNS を通じて ADHD や発達障害という言葉を耳にする機会が増えてきたのではないでしょうか。芸能人の公表やメディアでの特集も相まって、発達障害に対する社会的な認知は着実に高まっているように感じます。発達障害は原因が複雑に絡み合っており長らく原因の特定が難しく、確立された治療法も少ない分野とされてきました。しかし近年、脳科学の進展により ADHD やASD(自閉スペクトラム症)などは脳の発達や機能の違いによって生じることが明らかになってきました。私も夏学期に心理学専攻の履修科目として受講した脳科学入門の講義を通じて、ADHD(注意欠如・多動症)をはじめとする発達障害について学ぶ機会を得ました。この講義をきっかけに心理学の枠を超えて、認知特性に関わる精神疾患を脳科学的に理解することに強い関心を抱くようになりました。人間の行動や思考の癖といった目に見えにくい特性も脳科学を用いて科学的に理解を深めれば信頼性の高い説明が可能になる、そして科学的に説明できるのであれば例え時間がかかっても治療や支援の方法も必ずあるはずだと大きな希望を感じました。そして履修が終わった後もその関心は続き、さらに発達障害の可能な支援方法について調べを進める中で出会ったのが “ ゲノム医療 ” でした。ゲノム医療とは、脳の発達や神経回路の個人差を遺伝子レベルで解析することで、より的確で個別化された診断や支援を可能にする医療技術です。現在、このようなゲノム医療は発達障害の原因解明や支援の質的向上の鍵として注目されており、日本とカナダを含む先進国で徐々に導入され、この技術を活用した早期診断・介入の取り組みも進められています。ゲノム医療は単なる診断にとどまらず、適切な支援方法の選定や、個別化された教育・療育計画の策定にも寄与する可能性を秘めています。本稿では、発達障害というテーマを脳科学的な視点から捉えつつ、カナダと日本におけるゲノム医療の実装状況を比較し、発達障害への応用と今後の課題を考察していきます。近年の脳科学の研究とゲノム解析技術の進展により、発達障害の背景には神経回路の形成異常や神経伝達物質の働きに関わる生物学的な要因があることが明らかになりつつあります。よく耳にする ADHD(注意欠如・多動症)や ASD(自閉スペクトラム症)といった発達障害では、前頭前皮質・扁桃体・小脳などの構造的・機能的な異常が関連していることが示されています。ADHD は、脳の報酬系ネットワークや実行機能に関与する部位において神経伝達の不均衡、また頭前野におけるドーパミンやノルアドレナリンの濃度を調整する仕組みに異常が見られ、言動のコントロールの困難さや注意の持続に支障をきたすことを裏付ける科学的知見が得られています。また、ASD においては、シナプスの形成や可塑性に関わる遺伝子の変異が多数報告されており、社会性の発達や情報処理の特性に影響を与えている可能性が指摘されています。さらに、ADHD や ASD といった発達障害は、家族内での発症率が高いことが知られており、遺伝的な要因が発症に関与している可能性が高いとされています。双子研究 *1 や家系調査 *2 などの研究においても、発達障害には遺伝的素因が大きく影響していることが示唆されております。このような背景の解明においては、全ゲノムシーケンシング(WGS)やエクソーム解析(WES)といったゲノム医療技術が重要な役割を果たしています。WGS(全ゲノムシーケンシング)は、ヒトの全遺伝情報を解説する方法で、DNA 全体(約 30 億の塩基)をくまなく読み取ることができます。これにより、今までの検査では見つけにくかった小さな遺伝子の異常や、病気に関係する可能性のある領域を発見することができます。一方で、WES(エクソーム解析)は、遺伝子の中でもタンパク質のコードする部分(エクソン)だけを調べる方法です。DNA 全体のうち 1 〜 2%ほどの範囲ですが、多くの遺伝性疾患に関係している重要な部分を効率よく調べることができます。これらの技術は、発達障害の診断が難航するケースにおいて、原因となる遺伝的異常を早期に特定する手がかりとなります。たとえば、2. 脳科学とゲノム医療が解き明かす発達障害のメカニズム1. はじめに15ゲノム医療は発達障害を変えるか? -カナダと日本の比較から見る現状と支援-
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