一 方 で カ ナ ダ で は、Care4Rare Canada や Genome-wide Sequencing Ontario(GSO)などの全国的なプログラムを通じて、希少疾患や神経発達症候群へのゲノム医療の導入が積極的に進められています。特に、診断に時間がかかるケースや、標準的な検査では原因が不明な場合において、WGS による補助診断 *5 が効果的に活用され始めています。また、カナダの医療制度は州ごとに運営されていますが、診断後の情報共有と連携の仕組みが比較的整備されていることが特徴です。遺伝カウンセリングや専門医による結果の解釈支援、さらには教育機関との情報共有を組み合わせることで、診断後の包括的なサポート体制が整えられています。保護者や教育関係者が同じ情報を共有することにより、診断結果に基づいた具体的な支援へとつなげる体制が構築されてきています。これは、研究開発が主に民間主導で進められる日本とは異なるアプローチといえるでしょう。また、Menon ら(2015)は、希少疾患に対するカナダの医療制度の在り方について、政府による財政支援が重要な役割を果たしていると指摘しています。発達障害も診断が難しく個別の対応が求められる点で共通しており、こうした財政支援の枠組みは、発達障害に対するゲノム医療の導入・推進においての今後の取り組みに役立つでしょう。一方で課題として、地方部や先住民地域では依然として高度医療へのアクセスに格差があり、医療人材や医療機器の不足も深刻な問題となっております。こうした状況を改善するためには、政策的な支援の強化や医療資源の再配分が、今後の重要な課題になると考えられます。 これまで、カナダと日本における発達障害に対する医療制度の現状を見てきましたが、支援体制においても両国には制度設計の理念や運用方法において明確な違いが見られます。カナダでは、多様な背景や特性を持つすべての子どもが共に学ぶことを尊重するインクルーシブ教育を掲げており、診断の有無にかかわらず支援が必要な子どもに対して柔軟に個別支援計画(IEP: Individualized Education Plan)が策定されております。医療と教育の間には情報連携の仕組みが整備されており、発達障害と診断された児童が教育現場で適切な配慮を受けやすい体制が構築されています。また、一部の大学病院などでは、神経心理学者、教育カウンセラー、遺伝カウンセラーが連携した支援モデルが導入されており、医学的評価を教育的支援に直接結びつける枠組みが整えられつつあります。こうした多職種チームによる連携を取る仕組みの存在により、地域社会全体で包括的な支援を実現することが可能となっています。 一方日本ではというと、医療・福祉・教育がそれぞれ独立した制度体系に基づいて運営されており、診断情報が教育支援に直接活用されにくいという構造的な課題が存在しています。たとえば、医療機関で ASD と診断されても、その情報が教育 重度の知的障害や複数の症状が併存するような複雑な発達障害においては、WGS や WES を活用することで、特定の遺伝子変異や新規の遺伝子異常が明らかになり、診断の確定に貢献するだけでなく、適切な支援方針の策定の手助けにもなります。さらに、科学的根拠に基づいた説明が可能にすることで家族に対する遺伝カウンセリング ( 将来の出産に向けた相談)にも役立てられています。また、これらの脳科学的知見とゲノム解析に加えて、その他の生体情報も統合的に分析するマルチオミクス解析(multi-omics)により、個人ごとの神経発達特性をより詳細に理解する取り組みも始まっています。このような技術の進展は、発達障害の早期発見と、支援の個別化に大きく貢献する可能性を秘めており、従来の臨床的評価や画像診断では捉えることが難しかった微細な遺伝的要因を明らかにする手段として注目されています。特に、重度の知的障害や難治性の発達障害に対しては、原因となる遺伝子異常を早期に特定することによって、将来的な支援方針の立案や、家族に対する遺伝カウンセリングの質的向上にもつながっております。今後は、ゲノム情報をもとに脳科学的知見と統合し、教育や福祉を含めた支援体系の構築にも活用されることが求められており、それぞれの子どもの特性に合わせて支援内容を調整する個別化支援(precision support)の実現に向けた重要な一歩となると期待されています。日本では、国立成育医療研究センターや AMED(日本医療研究開発機構)を中心に、発達障害に関連する遺伝的研究や新生児スクリーニング *3 の高度化が進められています。2024年には、ゲノム医療中核拠点病院制度が整備され、特定疾患に対する全ゲノムシーケンシング(WGS)解析が一部で臨床応用され始めていますが、その対象はまだ限られており、発達障害の診断補助としての実用化は現時点ではまだ限定的です。また、教育や福祉分野との制度的な連携が十分に取れていないため、診断結果が個別指導計画(IEP)*4 等の教育支援や生活支援に直接反映されないケースも多く見られます。たとえば、ゲノム解析によって ASD の一因となる遺伝的変異が特定されたとしても、その情報が特別支援学級の支援方針や個別指導計画(IEP)に活かされる仕組みは、まだ整備されていません。さらに、高橋ら(2009)は、遺伝情報の電子カルテへの流通や活用に関して、プライバシー保護や倫理的な課題が多く残されていると指摘しています。そのため、解析結果の開示方法や予期せぬ結果(secondary findings)の扱いについて、全国的なガイドラインや合意形成が求められている状況です。このように、現在日本では、医療技術の面では基盤が整いつつある一方で、それを教育や福祉などの社会的支援につなげるための制度や運用面において、課題が残されています。5. 教育・医療・福祉の連携体制:カナダと日本の支援制度の比較3. 日本における発達障害とゲノム医療の現状4. カナダにおける現状16
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