第 1 章 日本:世界トップクラスの技術と、それを活かしきれない制度東京理科大学大学院(日本)伊藤 知尋長期にある子どものがん治療において、特に大きな効果が期待されています。 しかし、この治療法には非常に高額な設備投資が必要で、専門知識を持つ人材も欠かせません。そのため、この優れた治療を、どうすれば誰もが公平に受けられるようにし、国の医療費の負担を抑えながら続けていけるか、という点が各国で重要な課題となっています。 このレポートでは、粒子線治療というテーマから、日本、アメリカ、ドイツの 3 カ国を比較し、それぞれの医療制度の考え方の違いや日本の課題について考えていきます。 日本の公的な医療保険制度では、粒子線治療は「保険診療」と「先進医療」の 2 つに分けられています。保険診療 : 小児がんや骨のがんなど、ごく一部の限られたがんだけが対象です。この場合、患者さんの自己負担は治療費の一部(1 〜 3 割)で済みます。先進医療 : 上記以外のがんが対象です。この場合、治療技術料(約 300 万円)は全額自己負担となります。 この仕組みは、新しい高額な治療をすぐに保険適用にするのではなく、まず「先進医療」として実績を積み、効果や安全性を確かめてから判断するという、慎重な姿勢の表れです。しかし、その結果、治療を受けられるかどうかが、個人の経済力や民間の保険に入っているかに大きく左右されてしまうという、公平性の面で課題が生まれています。 がん治療の柱の一つである放射線治療は、日々進化を続けています。その中でも特に注目されているのが「粒子線治療」です。従来の X 線を用いた放射線治療は、体の表面近くで放射線のエネルギーが最も強くなり、体を通り抜けていくため、がん細胞だけでなくその通り道にある正常な細胞にもダメージを与えてしまうという課題がありました。 これに対し粒子線治療は、粒子線が体内の特定の位置で止まり、その瞬間にエネルギーを最大に放出するという、際立った物理的特性を持ちます。このエネルギーが最大になる点を「ブラッグピーク」と呼びます。この「ブラッグピーク」をがん細胞の位置に正確に合わせることで、周辺の正常な組織へのダメージを最小限に抑えながら、がん細胞だけを選択的に攻撃することが可能になります。この精度の高さから、粒子線治療は脳や脊髄といった重要臓器の近くにあるがんや、成 日本の粒子線治療は、世界をリードする優れた技術を持ちながら、その技術を十分に活かしきれていない、という二つの側面を持っています。 日本には数多くの粒子線治療施設があります。粒子線治療には、陽子という粒子を使う「陽子線治療」と、それより重い炭素の粒子(イオン)を使う「重粒子線治療」の 2 種類があります。この重粒子線治療は、特定のがんに対してより強力な効果が期待されており、日本はこの分野で世界の半分以上の施設を持つ、まさにリーダー的存在です。 これは、国の科学技術政策として研究開発に力を入れてきた結果です。「こんなすごい技術ができたから、医療で活用しよう」という、技術開発が先行する形で発展してきたのが日本の特徴と言えます。 はじめに:最先端のがん治療と、それを支える制度 1.1 「技術先行型」で世界のリーダーに 1.2 「保険診療」と「先進医療」:2 つの壁9粒子線治療における医療制度の課題 :日本の分析と国際比較
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