画像 1: Grinnell College のウェブサイトの Disability resources学業や生活面で特別な支援や配慮が必要な生徒へのリソースが全て集約。Resources」という専用の部署があり、学生に必要な支援を提供し、教授とも連携して学習環境を整えてくれます。 日本でこういった配慮があまり見られないのは日本の受験制度に大きく関係していると思います。入試試験の点数のみで決まる日本の受験では「障害」を持つ方にとっては大きなハンデとなってしまい、合格するのが困難になる場合があります。よって、こういった試験が「障碍者」の大半を排除してしまっていると考えます。その一方、アメリカの入試は AO入試に近く、総合的に生徒を分析するため、どこかしらの側面で苦労することがあるとしても、特定の強みが認められたら合格になることも多いため、多様な人々への配慮が必要になります。ます。ただし、日本の大都市などではユニバーサルデザインが進んでおり、移動のしやすさなど生活面では日本に軍配が上がります。 では、「障害」を抱えて日本とアメリカで生活する場合、どのような違いがあるのでしょうか。 アメリカのようなリベラルで進歩的な国では、職場や学校での「平等」あるいは「公平性」を重視する傾向が強く、障害者への制度的な支援が整っています。一方、日本では制度的な整備が十分とは言えず、個人の善意や思いやりに依存している部分が大きいと感じます。 私の経験を挙げます。日本の体育の授業では、体の事情で参加できなくても必ず体操服に着替え、見学しながら学んだことをレポートにまとめて提出するよう求められ、そういった人のために特別な対応をしてくださることはありませんでした。その上、参加できない回数が多いとたとえどれだけいいレポートを書いたとしても良い成績はほぼ取れず、どうしようもない状況でした。 対してアメリカの授業では、すべての科目にシラバスが配布され、必ず「障害のある学生への配慮」の項目があります。さらに私の大学を含め沢山のアメリカの大学では「Disability この何十年の間で施設や制度の変化により、何かしらの「障害」を持つ人にとって暮らしやすい世の中に変化してきました。それは技術改革や平等、公平を訴える社会運動などによるものです。しかし、私たちの社会は何かしらの苦難を抱えている人にとってはバリアフリーな社会からはまだかけ離れています。 アメリカと日本での違いとしては、基本的にアメリカの方が「障害者」に対する理解、そして投資している資本の量が多いため、アメリカの法制度的には少し暮らしやすいと思い日本とアメリカにおける「障害者」を取り巻く環境 まとめ15
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